2017/11/05

認識の根源

パートナーの体調が上向きになってきた。

11月4日13時半病院到着。昨晩は38℃まで上がったが、朝からは36℃台に。
ベッドサイドでのリハビリ許可が出たので、理学療法士のNさんが動かしてくれた。
痰は多いが、昨日より顔色がよくなってきた。体に力が入るようになってきた。
途中でのびもした。ひととおりリハが終わるとすっきりしたようすになった。

11月5日15時病院到着。昨晩は36℃台、熱は上がらなくなった。
昨日のNさんのリハをまねてみる。足に力も戻ってきた。表情もある。
ただ、尿が自分で出しにくくなっているのが、心配。がんばれ。管をできれば入れたくない。
啓治の高校時代の友人が昼に来てくださった。

友人で児童文学作家の村中李衣さんが言ってたこと。

赤ちゃんと同じなんだと。
カープが優勝したとか灰島かりさんの本ができたと伝えると嬉しそうになる。
内容じゃなくて伝える人そのものの嬉しさを
受けとめる。分かるとか感じるではない。
わたしたちの語彙にはないのかも。
認識の根本みたいなものを、啓治はもっている。

村中李衣さんは山口在住。機会があったら『チャーシューの月』という作品を読んでもらえると嬉しい。
図書館にはあると思う。李衣さんと啓治とわたしで作った本だ。

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2017/11/04

1年という時間

パートナーが倒れてから11月4日で1年になった。
いままでの人生のなかで経験したことのない1年だった。
母の入院が重なり病院2件をまわる時期もあったが、母はようやく落ちついてきた。

啓治の病院にいく時間は、4パターンある。
10時半、13時半、15時、18時半。
食後1時間半以上たって家族リハビリがおこなえる時間帯に行く。

10月31日は18時半に病院に行った。病室に入って顔を見たら、
真っ赤な顔で顔中に汗をかいている。
すぐに看護師に連絡。熱が38℃以上あった。
昼間はなんでもなくお風呂にも入っていた。
ひとまず氷枕などの対応してもらい、翌朝は36℃台に下がった。

11月1日は15時に病院へ。主治医から薬の投与の話をきき、
さほど心配するようすではなかった。
37℃くらいだったので、医師の許可をとり軽くマッサージした。

11月2日朝、主治医から電話あり。昨晩39℃の高熱と汚れた痰の量がかなり多く、
呼吸も苦しそうだったと。
食事をいったん中止して24時間の点滴に切り替える。レントゲンを撮る。
15時病院着。清拭も終わり、落ちついていた。
洗濯に出ていたパジャマとタオルケットが汚れた痰で黒くシミになっていた。
まだ痰の量が多く、汚れている。頻繁に吸引してもらう。
尿の出が悪かったらしいが、夕方出て一安心。

熱が下がるまではリハビリは難しい。顔を拭いたり、ツメや指のマッサージをする。
体に力がなく、目も開かない。
来週、福島の子どもたちに読み聞かせる予定の絵本『うさぎのみみはなぜながい』
を聞いてもらう。

11月3日15時病院着。昨晩は36、9℃に下がる。痰も透明になってきた。
昼間38℃に上がったが、16時くらいに計ると36、7℃だった。
頬がすこしこけてしまった。昨日よりすこし表情が出てきた。
絵本『としょかんライオン』を聞いてもらう。


天気がよければ4日土曜日に車椅子に乗って外に散歩にいく予定だったがお預けだ。
ここしばらく安定していたから……あっというまに弱々しくなってしまうことに、気づく。


さまざまなシーンで、啓治の仕事の細やかさ、気遣い、
プロフェッショナルぶりに気づく1年だった。
すべての季節を経験したから、あとは淡々とくり返していくだけと思った矢先だった。

なんとか乗り切ってほしい。

がんばれ。た助もスライリーも応援してるぞ!

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2017/10/23

西荻窪の思い出

友人の藤原ヒロコさんから彼女が装画を描いた『猫返し神社』(山下洋輔 徳間文庫)
をいただいた。


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藤原さん宅にはネコ4匹、わが家にはネコ2匹。まあネコ好きの部類に入るだろう。
しかし、しかしだ、そんな生半可なものではなかった。
飛鳥新社のHPに4年にわたって連載されたブログに加筆し書籍化されたものを文庫化、という本書の内容をここで紹介するのは差し控えるが、とにかく「濃い」ということだけはお伝えしておく。濃厚な世界に浸りたい方にはぜひお薦めしたい。

山下洋輔という響きはじつに久しぶりで、懐かしい気持ちになった。
山下洋輔からジャズドラマーの古澤良次郎さんを思い出した。
いまどうしているのかと検索したら、なんと2011年に亡くなっていた。
65歳だったと。まだ若かったのに。
http://www.nes-pa.com/furusawa/

古澤良次郎さんは、西荻窪のOAKという喫茶店や西荻窪ロフトというライブハウスに
静かに座っていた。
音楽を聴いているのかな、と思って見ているとどうも寝ているみたいなこともあった。

わたしはどうにもならない高校生だった。もう時効だろうから白状する。
夜な夜な「夜ヌケ」と称してベッドに「ひとがた」を作り、
2階のベランダを伝って1階に降りる。
そこから歩いて西荻窪ロフトに向かう。家から西荻窪までバスで10分くらいの距離だ。
で、ロフトで何をするでもなく友だちになった人たちとだらだらしたり、
散歩をしたりして夜を過ごした。そして、明るくなる前に家に戻ってくる。
なにが楽しかったのかわからない。単なるバカかもしれない。
夜起きているものだから、当然朝起きられず寝坊して、遅刻の常習犯となる。

古澤さんはそんな夜遅くにはいない。学校帰りにも制服で西荻をぶらつく。
古澤さんはそんなときに静かに座っているのだ。

高校時代のわたしはジャズが好きだった。新宿、渋谷、四谷、横須賀のジャズ喫茶に出かけた。
いっときフリージャズにはまり、阿部薫の『なしくずしの死』をくり返しリクエストしてた。
阿部薫は1978年に29歳で夭折したサックス奏者。
間章のことは当時雑誌かなにかで知ったのだろう。
『非時と廃墟そして鏡 間章ライナーノーツ1972-1979』(深夜叢書社)
を購入したのは、社会人になってから。
いまでも書棚の残っている本だ。間章も1978年に32歳で亡くなっている。

四谷のジャズ喫茶にも学校帰りに制服で寄った。
数年前、たまたまその店の前を通ったので入ってみた。
帰り際にふと高校生のころ制服で来ていたという話をしたら、
珍しかったのか、店主が覚えていた。

ジャズを聴かなくなってどれくらいたっているだろうか。
雨が強すぎる。
2017/09/24

俳句元年

俳句は、過ぎた季節のことは見捨てるらしい。
だからいまは秋の句。


ぼらとんで 海の道行き トンボロぞ

新涼や またに猫くる わきに猫

追い風に 三段跳びよ ばったとぶ

台風の 去りて祝いの 酒交わす

黄落や 小枝折るなり 車椅子

いましばらく、ひとり、めちゃめちゃに作ってみる。

でも、ひとりで作っているだけではダメらしい。
『俳句と暮らす』(小川軽舟 中公新書)によると、
「俳句は座の文芸だと言われる。一人で俳句を作っているだけでは、それは未完成品である」
というのだ。

気が向いたら「句会」なるものに参加してみるか。
席題が出て、15〜20分で作るそうだ。できるのか!

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2017/09/23

広島カープ リーグ優勝の瞬間

ブログを1か月以上書かないと、広告が表示されるみたいだ。
書くと消えるようなので、この記事をアップしたら消えるだろうか。

9月18日〜19日、広島に出張だった。

パートナーは、広島県福山市松永の出身。
物心ついたころからおそらく「カープファン」だったのだろう。
知り合ったときも当たり前のように「カープファン」だった。

わたしはいうと、たいして試合を見ないくせに
気持ちだけは中学生のころから「カープファン」だった。
中学校の遠足? のときのバスのなかでカープの応援歌
「♪カープ、カープ、カープ広島、広島カープ♪」
を歌い、三つ子の魂? いまも歌える。

パートナーはもともと凝り性な性格で、「カープ検定」にも合格してたようだ。

18日、新幹線16時50分に広島駅に到着、
待ち合わせ場所の広島駅近くのホテルニューヒロデン
へ。アーサー・ビナードさん、スズキコージさん、
前日コージさんのライブペインティングを主催した
中野さんらと合流。

広島と阪神の試合、甲子園球場、3-2広島リード、9回ウラ1アウトだから、
優勝の瞬間までみなで待とうということに。
表通りから1本入った路地に行くと、
カウンターだけの店の奥にはテレビ画面が……
どさくさに紛れて、店の中に入り、みなで画面を見ていた。

優勝の瞬間、店のみなさんとハイタッチ、なんと振る舞い酒までいただいた。
わたしは下戸だから、ほんの一口で、まわりのみなさんに飲んでもらった。
おめでとう。カープ2連覇です。


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翌日、友人が、パートナーの病室で、スポーツ新聞を読み聞かせしてくれたそうだ。
反応はすこぶるよかったと。